虎視眈々と日本一を狙うスプリンター。目指すは、リオデジャネイロ五輪出場。
日本の陸上短距離界に注目の若手選手が次々現れるなか、100mで虎視眈々と日本一の座を狙うスプリンターがいる。
住友電工の小谷優介選手。立命館大学4回生時に日本インカレで優勝し、同年の日本選手権は2位に。
社会人1年目にめぐってきたオリンピック出場のチャンスは逃したが、来年リオデジャネイロ五輪を見据えた4年間をいま着実に歩んでいる。
そんな小谷選手に、社会人アスリートとして陸上を続ける意味と覚悟、そして目標について語っていただいた。
種目変更に応じない執念
「100mでオリンピックに出場する」――私が小学校の卒業アルバムに書いた宣言です。小学生時代はとび抜けて走るのが速かったわけではないのですが、とにかくかけっこが大好きだったんです。性格も負けず嫌いなので、友達に絶対勝ってやると心に秘めながら、いつも一人で走る練習をしていましたね。
中学生になって陸上部に入り、100m選手としてスタートを切りました。しかし中学時代は3年時に県大会で4、5番に入るのが精いっぱいで、顧問の先生から「種目を変えろ」と何度も言われていたほどでした。ですが100mにこだわりを持っていたので、いくら勧められても種目変更には応じなかったですね。昨年、中学時代の顧問の先生にお会いする機会があって、「あのときやめなくてよかったな」って言われました。
高校に進学し、陸上人生が少し変わってきたように思います。1年時に県大会で優勝し、中学時代に背中を見ていたメンバーの前を走れるようになったんです。3年時には100mで10秒59をマークし、目標のインターハイに出場。準決勝止まりでしたが、全国の舞台に立てたのは嬉しかったです。同時に、全国の壁を痛感した経験でもありました。
日本トップを狙える位置に
2008年に立命館大学に進学し、陸上選手としてひと皮むけた実感があります。1回生から日本インカレ(日本学生陸上競技対校選手権大会)といった全国レベルの大会に出場し、3回生時には日本学生個人選手権100mで10秒28(+3.7)のタイムで優勝、全国初タイトルを獲得しました。
日本トップ選手の背中が漠然と見えてきたのは、2回生のときです。私の1つ上で現在、大阪ガスに所属する江里口匡史選手が当時、100mの学生チャンピオンであり、同時に日本選手権覇者でもあったんです。江里口選手に勝てば日本のチャンピオンになり、オリンピックに出る夢も叶うんじゃないかと目標が定まりました。
日本のトップを狙える位置に来たなと思ったのが4回生です。3年連続で出場した日本選手権100mで初めて決勝に進出し、優勝した江里口選手と競り合ったすえ、0秒02差の10秒40(-0.5)で2位になったんです。勝つのが目標だったので悔しかったですが、2回生の頃から意識していた選手に並べたのは自信になりました。
4回生ではそのほか、日本グランプリシリーズの織田記念国際で優勝(10秒28〈+1.2〉)、さらに学生日本一を決める日本インカレでも優勝(10秒51〈-1.9〉)することができました。
目標を逃した10秒の戦い
住友電工に進んだ1年目にチャンスがめぐってきました。2012年4月に行われた織田記念国際100m予選で10秒21(+1.3)の自己ベストを記録し、ロンドン・オリンピックB標準を突破したんです。
その2ヶ月後に日本選手権を迎え、昨年と同じ上位に食い込めばオリンピックも夢ではない状況でした。オリンピックB標準突破選手として100m決勝に挑みましたが、結果は6位。無念にも代表入りを逃しました。
オリンピックは4年に一度の大舞台で、日本中のトップアスリートが4年かけて準備を積み重ねています。私は意識し始めてから1年半ほどしか準備期間がなく、心身ともに万全に仕上げてきていたトップ選手たちに完敗したというのが正直な実感でした。いまは所属する住友電工で、来年のリオデジャネイロ五輪を見据えてトレーニングを積み上げています。
強化選手第一号として
住友電工を選んだのは、陸上部の松本総監督からお話をいただいたのがきっかけです。私が入社した年は、ちょうど会社が陸上部の強化を打ち出していたタイミングで、「これから力のある選手に声をかけ、陸上部を強くする。その第一号になってくれ」と熱い言葉をかけていただいたんです。
これから生まれ変わる陸上部に所属するのか、実業団の競合チームでもまれるのか。悩みましたが、最終的に決めた理由は、自分の辿ってきた道と重なる面があったからです。
関西で生まれ育ち、中学と高校は競合校ではなく、大学は関東のレベルに比べるとまだまだという位置にいました。そうした環境で陸上をやってきた自分にとって、関西の企業であり、陸上部をこれから強くしようとしている住友電工が近く感じたんです。このチームで新しい自分をつくり出せるのではないかと思い、決意しました。
学生時代との違いは「責任」
社会人4年目の現在、陸上に重心を置いた活動をさせてもらっています。午前中勤務で午後から練習が基本ですが、合宿に参加させていただいたり、大事な試合の前は一週間ほど陸上に専念させていただいたりと、陸上を第一に考える環境を提供してもらっています。
住友電工はまだ日本一の選手を出していないクラブですが、最近はリレーの強化に取り組み、全日本実業団選手権で優勝するなど成果が出てきました。さらに今年は後輩2人が世界選手権出場の切符を掴み、チームとしては嬉しい反面、個人としてはやっぱり悔しいですね。自分が率先して世界を狙える位置に行かなければならないと思っています。
学生と社会人の違いをひと言でいえば、「責任」です。学生時代は極端な話、結果が出れば「良かったな」で終わる世界です。しかし社会人の現在は、お金をもらいながらスポーツをしているわけですから、結果を出して当たり前の世界にいるんだと常に気を引き締めています。
結果を出すための練習には自分なりの心構えがあって、そのポリシーは曲げていません。それは自分自身にプレッシャーをかけ続け、とことんまで追い込んでいくやり方です。小谷優介という一人の人間に投資をしていただいているわけです。その会社に恩返しをするためにも、今後も自分にプレッシャーをかけ続け、厳しいトレーニングを続ける覚悟です。パンクしたらそれはそれでいいと思っているし、その圧を跳ね返すほどの選手にならなければ、日本一にはなれないと自分に言い聞かせています。
心技体で目標を掴みとれ
目標はただ一つ、オリンピック出場ですね。日本一を狙える位置にいるからこそ陸上を続けていますし、自分の力を出し切れば届かない場所ではないと信じています。
近年は日本の陸上短距離界のレベルが上がり、桐生祥秀選手やサニブラウン・ハキーム選手といった若手も台頭してきています。桐生選手は同じ滋賀県彦根市出身の後輩で、今年も国体でリレーを組む仲なので頼もしい限りですが、後輩には負けられないという思いが強いですね。負けず嫌いの性格は、小学生時代からまったく変わりません(笑)
こう言うと誤解されるかもしれませんが、僕の中で100mは、小学生時代に楽しんで走っていたのと同じ〝かけっこ〟なんです。小学生の頃に描いた夢を実現させるために、来年は心技体をピタリと合わせてオリンピックの選考レースに挑みます。
Profile
小谷優介(こたに・ゆうすけ)
1989年9月23日生まれ。陸上トラック競技の短距離走専門で住友電工所属。中学生から陸上を始め、高校2年生時に県大会で1位になり、3年生時に10秒59をマークした小谷 優介選手。立命館大学へ進学後も、ゼロコンマ数秒の世界で常に自身の記録に挑戦し、4回生時には日本インカレで優勝。今は社会人アスリートとして全日本実業団選手権や日本選手権の大会で成績を残している。