「ヤマハで念願の日本一を達成し、日本代表も経験してきた。そのうえでの今後の目標を聞かせてもらっていいかな」(岡山)
岡山一成(おかやま・かずなり)1978年4月24日生まれ。大阪府堺市出身。FW#32。96年初芝橋本高を卒業後、96年横浜マリノスに入団。打点の高いヘディングを武器に、Jリーグデビュー戦から3試合連続ゴールを記録して一気に頭角を現す。その後大宮アルディージャ、横浜F・マリノス、セレッソ大阪、川崎フロンターレ、アビスパ福岡、柏レイソル、ベガルタ仙台、浦項スティーラース(韓国・Kリーグ)、コンサドーレ札幌と渡り歩き、13年8月から関西リーグ1部の奈良クラブに在籍。川崎F時代に始めた試合終了後のマイクパフォーマンス“岡山劇場”がサポーターの人気を集め、その後現在まで継続。14年4月24日には自身の著書「岡山劇場」を出版。09年浦項でACLを制してFIFAクラブW杯3位。J1通算64試合6得点、J2通算214試合20得点。
「現役でいる限り日本代表、日本一のプロップをめざします。チームとしてはヤマハ黄金時代を築く一員になりたいですね」(山村)
山村 亮(やまむら・りょう)1981年8月9日生まれ。ジャパンラグビートップリーグのヤマハ発動機ジュビロ所属。中学生の時は相撲部で主将。県大会で優勝し、大相撲の複数の部屋からのオファーの声もかかっていた。佐賀県の高校から関東学院大学へ進学。大学生の時に、唯一学生から日本代表へ選抜され、4回生では主将を務め大学選手権で優勝へ導く。大学卒業後は、現所属のヤマハ発動機ジュビロへ入団し、社会人1年目から頭角を現しベストフィフティーンに選出される。
日本一のスクラムで、ヤマハ黄金時代を築きたい。
突然のプロ契約廃止。そのとき出した決断とは?
岡山(以下、岡) 山村選手は関東学院大学で主将を務めた4年次にラグビー大学選手権で優勝し、さらに大学時代には日本代表やワールドカップ代表に選ばれました。大学卒業後はヤマハ発動機ジュビロ(以下、ヤマハ)に入団、2015年に全日本選手権で優勝しています。今日はそんな山村選手に話を伺いたいと思っています。……とここまで「山村選手」と言ってきたけど、普段どおり「亮」って呼ばせてもらっていいかな。山村選手なんて言うと固くなってしまう(笑)
山村(以下、山) もちろん普段と同じように呼んでください(笑)。
岡 まずヤマハに入った経緯から教えてもらっていいかな。当初はプロ契約だったの?
山 そうですね。2004年に入団した際はプロ契約でした。
岡 でもリーマンショックが起きた次の年にチーム編成が見直されて……。
山 2009年秋にプロ契約の廃止が決定し、2010年度シーズンから正社員選手のみで活動することになったんです。他のチームに移籍するオプションもあったのですが、最終的にヤマハに残る決断をしました。
岡 とても大きな決断だったと思うんだけど、実際、葛藤はなかった?
山 他のチームからのオファーもありましたからね。正直、悩みましたよ。でも僕は、ヤマハで日本一になりたかったんです。仮に他のチームに移籍して優勝しても、心からは喜べない気もしましたし。
岡 チームを去った選手もいたと聞きました。
山 10名ほど他のチームに移籍し、2010年度シーズンは36名に減りました。シーズン後半は怪我人が出ますから、たとえば15対15の練習ができないんですよ。コーチが臨時で入って間に合わせたり。順位は低迷し、入れ替え戦でぎりぎりトップリーグに残留できた感じですね。
名将・清宮監督の就任。選手に宣言したひと言
岡 プロ契約が打ち切られてトップリーグ降格の危機に陥り、でもその後の4シーズン目に全日本選手権で見事優勝。V字回復を成し遂げたポイントをぜひ教えてください。
山 2010年度の入れ替え戦のあと、監督に就任した清宮さんの指導力が大きいと思いますよ。
岡 サッカーは監督の采配がチーム力を大きく左右するんだけど、やっぱりラグビーも監督の影響力は絶大なんだ。
山 そうですね。清宮監督の場合、ヤマハに来られた際のファーストミーティングで「日本一になる」と宣言したんです。それで選手が奮い立たないわけがないですよね。
岡 そして4年後に宣言どおり優勝。そのとき、どんな気持ちだった? 亮にとってはヤマハで日本一になりたいと思っていたわけだし。
山 それは最高でしたよ。僕自身、ヤマハに入った1年目にトップリーグで準優勝を経験しているんです。その後、清宮監督就任後にチームが徐々に力を吹き替えし、2014年シーズンで再度トップリーグで準優勝。その先の全日本選手権優勝ですから。格別の思いでした。
ラグビーの根底に流れる「ノーサイド」の精神
岡 ちょっと2人の出会いについて振り返ろうかな。僕は高校を出てすぐ横浜マリノス(現、横浜F・マリノス)に入ったので、大学のキャンパスライフに憧れを持ってたんだ。そんなとき、幼馴染が横浜にある関東学院大学に進学したので、僕はこそっと授業を聴講したりして楽しんでいた。しかも幼馴染はラグビー部に所属していたのでクラブの飲み会にも勝手に参加していて、そこで亮と出会ったんだよね。
山 そうでしたね。
岡 亮は幼馴染の後輩だから、僕も勝手に亮を後輩扱いにして(笑)。昨年の天皇杯3回戦で奈良クラブとジュビロ磐田が対戦したとき、亮が家族で観戦に来てくれた。
山 子どもを連れて試合に行きました。
岡 約10年ぶりに会ったんだけど、そのとき驚いたのは、亮が大学時代とまったく変わっていなかったこと。日本代表で活躍しても決して慢心せず、本当に昔と同じで。僕を先輩のように立ててくれるし。ほんまええ子やな~って(笑)
山 いやいや、まあ(笑)
岡 亮も含めてラグビー選手たちと交流して思ったのは、一緒にいて気持ちいいってこと。仲間意識も強いし、本当に楽しかった。
山 それがラグビーのいいところですね。ノーサイドっていう言葉があるように、試合後は敵味方じゃなく、健闘をたたえ合う文化があります。アフターマッチファンクションといって、試合後に両チームの選手やスタッフ、レフリーが集まり、ビールやソフトドリンクを飲んだり軽食をとったりしながら交流を深めるイベントもありますよ。
岡 素晴らしい!サッカーは真逆で、試合後に相手チームの選手と顔を合わせる機会なんてほとんどないよ。逆に交流してたら、「なに仲よくやってんだよ」と言われたりする。試合中のラフプレーも多いし、サポーター同士のぶつかり合いもあったりする。ノーサイドの精神をぜひサッカー界に提唱するよ。
40歳まで現役、引退後は指導者を目指す
岡 ヤマハで念願の日本一を達成し、日本代表も経験したわけじゃないですか。今後の目標をぜひ聞きたい。
山 現役でいる限り、上を目指し続けているし、代表への憧れも持ち続けています。ワールドカップはラグビー選手にとって本当に最高の舞台でしたから。
岡 亮は僕の3つ下だから、今年34歳。僕の場合、60分や90分フルで動くのが体力的に厳しい面があって、チクショーって悔しい思いもしてるんだけど、亮は年齢の不安はない?
山 実は体力の衰えは感じてなくて、まだいける感覚があるんです。幸い、これまで大きな怪我もなく、丈夫に生んでくれた両親に感謝ですね。
岡 激しいスポーツで怪我なくやってきているのはすごい!ズバリ、何歳まで現役でがんばりたい?
山 1年1年が勝負ですが、40歳まで現役を続けられるよう体を常につくっていきたいですね。そして個人としては、代表を狙うことに加えて「日本一のプロップ」をめざしたい。チームとしては、まずトップリーグ優勝が目下の目標、その先にヤマハの黄金時代を築き、その一員として活躍したいですね。
岡 将来的な考えも聞かせてもらっていいかな。
山 指導者の道に進めたらと思っています。その布石として、プロ時代に静岡産業大学に科目履修生として通い、保健体育の教員免許を取りました。さらに指導者になったらバスも運転できたほうがいいかなと思って、大型免許も取りました。
岡 すごいなあ。ラグビーで結果を残した人は引き合いも多いだろうしね。まずお互い現役で40歳の壁を越えよう!その後の指導者の道も応援するよ。今日はありがとう。
山 こちらこそありがとうございました。