近畿大学・アメリカンフットボール部 監督 時本 昌樹

人間力は、競技力に通じる。一戦必勝でチームを頂点へ。

 

近畿大学時代にアメリカンフットボール選手として活躍し、大学卒業後は富士通、オンワードスカイラーク、オービックに所属して日本一に貢献した時本昌樹氏。アメフト選手として国内で活躍する一方で世界に目を向け、NFL-Europeを始めとした海外リーグに幾度となく挑戦してきた強者でもある。
そんな同氏が2011年、母校・近大アメフト部の監督に就任した。
強豪ぞろいの関西・大学アメフト界で一戦必勝のチームをつくるため、大切にしている指導法について聞いた。
 

周りやチームのことを常に考え、超ポジティブに行動できる。そんな選手が増えると強くなる。

 
向上心の塊のような人である。近畿大学アメリカンフットボール部監督、時本昌樹氏。現職にたどり着くまでの同氏の経歴をみれば頷ける。
アメフト選手として活躍した近畿大学卒業後に富士通に入社し、第1回アメフトW杯に日本代表として参加し優勝に貢献。その後オンワードスカイラークに所属してXリーグ優勝。30歳で引退後はオービックシーガルスのコーチ就任を皮切りに、わずか6年の間に専門学校講師、帝京大学ラグビー部ストレングス、アジリティコーチ、アメフト日本代表コーチ、日本大学アメフト部のコーチを歴任している。さらに芸能プロダクション母体のスポーツマネジメント会社にも席を置き、テレビやCMにも出演していたというのだから恐れ入る。
「当時は基本アメフトが軸にありますが、オファーがあればできる限りお受けして目の前のことに全力を尽くす。そうやって地道にやってきました。でも自分としてはすべてが中途半端」
本人はそう謙遜するが、同じような経歴を辿れる人がどれほどいるか。
ただし先に挙げたのは国内のみの経験。同氏の向上心を示す真骨頂は海外経験だ。富士通に入って2年目、NFL-EuropeというNFLの下部組織のトライアウトに合格してキャンプに参加。しかし本戦には召集されず、帰国後は退路を断って海外に再チャレンジするため、富士通を退職した。その後はNFL(米国アメリカンフットボールのプロリーグ)、カナダリーグ、NFLヨーロッパリーグへの挑戦を繰り返し、2001年には再度、NFLヨーロッパ(NFLの下部組織)のトライアウトに合格。NFLヨーロッパのドイツを拠点にしたチーム「ライン・ファイヤー」に所属し、リーグ戦において、ナショナルプレーヤー・オブ・ザ・ウィークにも選出された。
「海外で武者修行していた目的は、NFLで自分がどこまで通用するのかを知りたかったから。いま思えば無謀な挑戦やったというのはわかりますよ。でも当時はやれると真剣に思っていましたから」
そんな同氏はもとはラグビー選手だった。幼稚園の頃に早くも地元の吹田ラグビースクールに通い、小学生時代はラグビーと野球に打ち込んだ。中学では野球部を選んだが、高校でラグビーに戻り、大学でも続ける予定だった。
「ところが大学の学生課に行くと、スポーツ推薦以外、ラグビー部員は採っていないというんです。私は一般入試だったのでダメだと思い、勧誘を受けたアメフト部に入りました。でも実は自分の情報不足で、ほんまは一般生もラグビー部に入部できたんですけどね。ともあれアメフト部に入った以上、いろんな意味でやめられなかったというのが本音です」
その同氏がいま、近大アメフト部の監督を務めているのだから人生は面白い。
指導者を志したきっかけは、帝京ラグビー部コーチ時代に出会った岩出雅之監督の影響が大きいという。
「岩出監督は中高の先生だったこともあり、教育的価値観でラグビー部の指導をされていました。つまり競技だけでなく、社会に出たあとも活躍できる人材づくりを重視されていた。その結果が全国大学選手権6連覇につながっているんです。岩出監督の指導に触れて、自分も指導者としてチームを育てる経験がしたいと思っていた矢先、近大からお声がけいただいたんです」
37歳で近大ラグビー部の監督に就任。1年目の11年シーズンは関西学生2部リーグ1位で1部に昇格、12年・13年シーズンは1部リーグ6位、14年シーズンは4位と着実に順位を上げている。岩出監督から学んだ経験を活かし、「人として、また一人の男として社会で貢献し活躍できる人間に成長してもらえるよう指導に力を入れています。」と強調する。
「人間力は結局プレーにも生きてくるんです。思いやりのある選手は自分を捨てて人を活かせるし、ミーティングも面倒がらず、チームの勝利のために必要だから時間を割ける。周囲やチームを優先し、超ポジティブに行動できるんです。そんな選手が増えればチームは強くなります」と断言する。
近大アメフト部のスローガンは、「一戦必勝で関学に挑む」。関西の大学アメフト界は関西学院が抜けているが、目の前の一戦一戦を大事に戦う先に頂点が見えてくるのを、チームの誰もが理解している。
一方、時本監督個人としては、監督業の合間を縫って大阪教育大学大学院で学んでいる。
「いつまで指導者として現場で指導できるかわからない。ここで死力を尽くしたあとは、また違ったかたちでアメフトに貢献できればと思い、大学院に通っています。さらに海外に出て仕事もしたいですね」
飄々と語る同氏の向上心は衰えを知らず、次の高みを見据えている。
 
 

PROFILE
時本昌樹(ときもと・まさき)1974年12月5日生まれ。大阪府立山田高等学校卒業後、近畿大学商経学部へ。富士通株式会社へ入社し、第1回アメリカンフットボールW杯に日本代表として参加し、優勝とベストプレーヤーとして称される。NFLヨーロッパにも合格し、ナショナルプレーヤーオブザウィークに選出され、ドキュメント番組やCMに出演経験も。選手を経てオービックシーガルズのLBコーチ、アメリカンフットボール日本代表コーチの経歴、学校法人・NPO法人のヘッドコーチとマネジメントも兼務。2014年からは、母校のアメリカンフットボール部の監督としてチームを率いている。